1月18日(木)、O―ネットでは施設職員研修「2017年度“介護施設ならでは〟のターミナルケアを進めるために」を開催しました。自然な死を迎える場としての役割が期待されている介護施設ですが、経験が少ないだけに不安や悩みを抱える職員も多いようです。研修では、最初に「よりよい看取りを実践するために」と題して特養・白寿苑の山内恵美看護担当課長が講義。続いて、泉佐野たんぽぽの会理事長でグループホームやすらぎのさとを運営する片かた木ぎ谷や真弓さん、特養・豊中あいわ苑副主任の中川聡さんによる実践報告「看取り介護に取り組んで」が行われました。参加者は、特養・有料老人ホーム・グループホームなどの介護・看護職員66名。講義・発表に耳を傾けたりグループワークに取り組んだり…と密度の濃い3時間の研修でした。この紙面では山内講師の死生観についての講義を紹介します。
ターミナルケアは自身の死生観に向き合う場
介護現場で働く者にとって、ケアとは一方的に相手に提供するものではありません。相手からたくさんの問いかけや何かをもらいます。それが最も際立つのがターミナル期のケアでしょう。自分がそこにいる「価値とは何か」「役割とは何か」、ケアを通して大いに考えさせられる。私たちと利用者とは最期の場面まで「双方向の関係」であることを知っておく必要があります。
ターミナルケアは、「いつか自分も死んでいく」「目の前の息を引き取ろうとしている人と同じ立場になる」ということを否応なしに認識させられる場でもあります。だから葛藤も大きい。「もっと何かできたのでないか」と思い、後悔の念を抱く。それだけに非常にストレスフルです。そのストレスを緩和するためにも管理職は対応した職員のケアを十分に行い、みんなで話し合う場をつくって思いを共有することが必要です。
絵本や詩集も死生観を培うための有効な手段となる
ターミナルケアにあたっては、自分自身の死生観をもち、それを認識しておくことが大切です。それは必ずケアに現れます。体位変換一つでも、手の位置・圧のかけ方・体温など、介護者の気持ちが敏感に受け手に伝わるからです。同時に、自分の死生観・考え方に固執するのではなく、他者の死生観や考え方にも触れて自分自身を広げ、柔軟性を持たせることが求められます。そのためにも知識や感受性を磨くことが望まれます。
「難しい本を読むのは荷が重い」のなら、まずは絵本や詩集などに触れてみてはどうでしょう。例えば谷川俊太郎の絵本『しんでくれた』。この絵本を読めば、人間の命は他の生き物のおかげで支えられていることを改めて認識できます。また、ローレンス・ブルギニョン著・柳田邦男訳『だいじょうぶだよ、ゾウさん』では、仲良しのゾウの老いを通して、死を受け入れていくネズミの気持ちの変化が手に取るように分かるでしょう。
ケアには複眼的な思考と判断力が求められる
時代とともに死生観は変化していきますから歴史を知っておくことも大切です。一昔前までは個人よりも国家が重視されていましたが、今は信条の自由が認められているだけに、個々人の思いや考え方もさまざまです。そうしたなかでケアの対象者がどんな考え方や価値観をもっているのかを知っておくことは非常に大事です。
例えば詩人・金子みすゞに「大漁」という詩があります。
大漁(たいりょう)だ。
大羽鰮(おおばいわし)の
大漁だ。
浜(はま)はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万(なんまん)の
鰮(いわし)のとむらい
するだろう。
透き通るような感性をもつ作者は、漁だけでなく鰯の立場にも目を向けています。ケアもこのように1つの視点だけで物事を見たり判断したりするのではなく、複眼的な考察・検討が求められる。私たちはそのことも十分認識しておく必要があります。
「誰のためのケアなのか」「なぜ自分たちは看取りの場にいるのか」―これらの問いを自分の中で繰り返しながら、死生観を培う知識に触れたり、他者の思いに耳を傾けたり、自分の思いを語ったりすることを通して「死ぬこと・生きること」について考え続けてほしい。それがひいては自分自身の無力感や自信のなさを回復させ、ターミナルケアのよりよい理解にもつながっていくと思うのです。