朝日新聞厚生文化事業団「高齢者への暴力防止プロジェクト」
O―ネットでは、10月12日、大阪市中央区のドーンセンターで「施設内虐待を防ぐための職員研修」を開きました。企画・運営は施設とO―ネットの関係者でつくる職員研修実行委員会。当日は、柴尾慶次フィオーレ南海施設長の講義「改めて高齢者虐待防止法を知る」のほか、劇団O―ネットが「市民感覚とのズレを知ろう」と題し、虐待につながる事例を劇で披露。福留千佳ライフサポート協会なごみ施設長と吉田洋司グループホームいこいおりおの館館長による虐待防止の実践報告や9班に分かれてのグループ討議も実施しました。受講者は72名。介護職員や生活相談員など特養や有料老人ホーム・グループホームで働く職員が参加しました。
「相互チェック・相互ヘルプ」の職場づくりが欠かせない
柴尾 慶次 フィオーレ南海施設長
【柴尾慶次さんプロフィール】介護保険が始まる前から高齢者虐待防止研究に取り組み、02年には虐待防止基本法の私案を発表。05年制定の高齢者虐待防止法にも一部提案が盛り込まれている。現在、日本高齢者虐待防止学会理事。
「近すぎる関係」の中で行う介護の仕事
人は無意識のうちに他人との間に距離を取り、安心できる空間を保とうとします。この空間は半径45㎝くらいの領域で、家族や恋人など一般に非常に親密な関係の人しか近づけない「パーソナルスペース」です。「虐待」とはこのパーソナルスペースに入ることができる「近すぎる、親密な人間関係」の中で起こる暴力のことです。そうではない人による暴力は「犯罪」。両者には人間関係の距離感においてこのような違いがあります。
そうしたなか、他人であっても利用者の半径45㎝内に入って仕事をせざるを得ないのが介護職員。介護の仕事とは「距離の取れない、近すぎる関係で行われる仕事」なのです。我々はこの事実をまずはしっかり認識しておく必要があります。
それだけに、介護職として、利用者との間に適切な距離を保って仕事をするには、介護技術だけでなく、援助や対話に必要な技法の習得も欠かせません。例えば「その人のために」と思って対応しているのにそれが相手に伝わらないとイラッとする。そんなとき「5つ数えて笑顔になる」「その場をいったん離れる」―こうしたことも対人援助には必要な技術。専門職にはそんな力を培っていく努力も求められます。
介護の仕事は「感情労働」でもあります。自分の感情は抑え、いつもにこやかに仕事をすることが求められる。しかし利用者との間には相性の善し悪しがある。苦手意識があるとそれが相手にも伝わり、反発や抵抗となって現われます。とくに男性職員は男性利用者を苦手とする場合が多いのですが、相性の善し悪しが「ある」という事実を全職員がきちんと認め合う。そしてグループワークなどを通して職員同士が共通認識をもって個々の経験や対応法を共有する。それが専門職としてのスキルアップにもつながっていくと思うのです。
見直しが望まれる21条の通報義務規定
06年に施行された「高齢者虐待防止法」は、介護保険法の地域包括支援センター設立との兼ね合いから慌てて議員立法によってつくられたため、不備な点がいくつかあります。
とくに第21 条の施設従事者による虐待は「疑い」であっても「通報」が課せられ、ハードルの高いものになっています。また、施設従事者には通常、守秘義務がありますが、第6項で「通報は守秘義務違反に当たらない」とし、「ただし虚偽及び過失によるものは除く」と二重否定されている。事実確認が困難で虚偽や過失とみなされた場合、通報者が守秘義務違反で罰せられる恐れもあるのです。
このような不利の条件の中で誰が通報するでしょうか。実際、施設従事者が通報する場合―退職した職員が多いのですが、通報者が分からないように時と場所を明確にしないで伝える傾向がある。そのため事実確認ができず事故や過失で済まされてしまうことも少なくありません。通報の際は、判断根拠となる「いつ・どこで・だれが・だれに・どのように」を明らかにして伝える。と同時に、6項の「虚偽及び過失によるものは除く」という但し書き規定を削除すべきだと思います。
不適切ケアを共有化と工夫でよいケアに変えていく
顕在化した虐待は氷山の一角にすぎません。氷山の下には、放置していると虐待につながりかねない、専門性の低い介護や不適切ケアが存在します。表面化した虐待行為だけでなく「高齢者の尊厳・心身や生活に影響を及ぼしていないか」といった視点でケアを見つめ、グレーゾーンにあるケアをよいケアに変えていく。これが虐待防止には不可欠です。
「食べないから」「食べるのが遅いから」と口の中に食べ物を押し込むのもグレーゾーンの身体的虐待です。咀嚼力や嚥下力の弱い人もできるだけ短時間でおいしく食べられるように、温かい食事を出す、ソフト食を導入するなど、工夫が求められます。
事故か虐待かを明確にするため、事故のハードルを上げることも大切です。フィオーレ南海では表皮剥離一つ・あざ1㎝でも事故報告書に挙げ、家族と情報を共有するようにしています。日頃そうした積み重ねがあると、普段と違うところにできた傷やあざに素早く気づき、介助法は適切か、虐待はなかったか、迅速に判断・対処することができます。
施設内虐待の大半は夜勤帯に起こります。1人で20~30人もの利用者に対応せざるを得ないため職員のストレスも大きいのですが、「新人は一人前になるまで夜勤をさせない」「夜勤に慣れるまでチューターを決めてサポートする」「男性ばかりの夜勤者にならないよう配慮する」といった仕組みづくりも重要でしょう。
いずれにしても、不適切ケアを少なくするには日頃の地道な取り組みが欠かせません。密室構造を変えるためオンブズマンのような第三者を導入するほか、「相互チェック・相互ヘルプ」の職場づくりが不可欠。不適切なケアをしている職員を黙認するのではなく、「組織」というチームでサポートし、話しやすい、相談しやすい組織風土に育て上げる。個々の施設に、そうした仕組みづくりが求められます。