7月30日(月)、日本社会福祉弘済会の助成を受け、介護施設で働く人々を対象に、2018年度身体拘束・虐待防止研修を開催しました。
講師は介護アドバイザーとして活躍する髙口光子さん。自身の体験談や映像を交えながらの5時間の研修でした。
会場は大阪市天王寺区の大阪市立社会福祉センター、受講者は99名でした。
介護観をもち、言葉にする
介護の基本は、自分がされて嫌なことを人にしないこと。だから「自分」のない人に介護はできません。
私たちと利用者は他人同士だけれど、日常生活を育む中でつながりができてくる。いつもはほとんど食べない人が一口でも食べてくれると「うれしい」と思う。入浴介助は汗だくだけど、風呂上がりのサッパリした利用者の顔を見ると自分自身も気持ちがいい。それは利用者の「生きよう」とする力に触れたからです。
利用者は老いて病んで死んでいく人々ですが「けっして一人ではないよ。私たちがそばにいるよ」というこの一点を伝えるために、私たちは仕事をしているのです。
介護には「よいケア」と「悪いケア」があります。悪いケアは注意しなければなくなりません。でも悪いケアを注意するには、自分に「介護の軸」となるこだわりがなければなりません。そして、「介護とは、笑顔を引き出すことだと思う」「受容することだと思う」というように言語化しなければ、なかなか伝わりません。
トイレの便器の水で顔を洗っている認知症の利用者がいるとします。「汚い!やめて!」と新入職員が騒いでいる。その対応の何が悪いのかをきちんと指摘し、よい対応のしかたを具体的にして見せて、なぜ悪いのか、自分の介護に対するこだわりを言葉にして伝える。照れ臭いけれど、そうした語り合いと関わりがなければ、よい介護はできません。
拘束防止策は必ずある
「自分たちはどんな介護をしたいのか」という軸を持つことは「そのために何が必要か」を懸命に考えることにつながっていきます。私の施設に、鼻腔栄養の管を抜くためミトンをつけた人が転入してきたことがありました。家族はミトンを外すことに同意しない。緊急会議で職員の意見は2つに分かれました。
「見守りできないときもあるからミトンを全くつけないのは無理。管を抜いて事故が起きたら訴えられる」という意見が強い中、ある新人職員が「先輩たちは拘束したいの?」と質問。それを機に「縛りたくないからこの施設に入った」「じゃあ、ちゃんとやろうよ」と流れが変わり出した。結局、拘束を防ぐには「夜間も含め、その利用者には職員が1人付くしかない」ということになり、シフトを工夫。見守り態勢を整えました。
「介護の仕事の誇りとは何か」「何のための仕事なのか」――それがブレなければ「対応策は必ずある」と思うのです。
チームが不適切ケア防ぐ
不適切ケアは誰もが持つ「悪性の感情」に無関心な状態のなかで起こります。
対人援助の基本は「人は思い通りにならない」「思い通りにしてはならない」ということですが、近しい人との間ではどうしてもそれを忘れがちになります。
「こんなにしてあげているのに何で分からないの!」とカーッとなる。「自分ができること」を「できない人」がいると、ついバカにしてしまう。誰もがそんな「心の闇」をもっています。
そういう心の闇が「自分にもある」ことを認め、言葉にする。「私もイラッとしたことあるよ」と率直に話し、一緒に働く仲間の様子を気にかける―。不適切ケアを防ぐには、ともに支え励まし合うそんなチームをつくることが何よりも大切だと思うのです。